難病SLE緊急入院から仕事に復職して1年が経ち「病気でも働き続けること」の幸せ・課題を語ります。

難病になって10年以上の時間が過ぎました。

簡単に病歴を説明すると、

10年前に難病を発症して、合計半年以上、入院治療しました。

その後、9年間は薬をコントロールしながら仕事を続けていました。

9年間かけて、ようやく病気とともに自分らしく生きる楽しみを見つけられてきた2018年に、私にとっては4度目の再発、3度目の緊急入院となりました。

2018年、全身性エリテマトーデス(SLE)の治療のため3ヶ月以上入院して、自宅療養期間と合わせて1年間、仕事をお休みさせていただきました。

そして2019年に仕事に復職してから約1年間の間に考えたことを今回、ブログにまとめてみました。

難病SLE緊急入院から仕事に復職して1年が経ち「病気でも働き続けること」の幸せ・課題を語ります。

仕事に復職してからの1年間、とても辛かったです。身体がしんどいのはもちろん、気持ちの面でも様々に辛かったです。病人として生活できた入院中や休職中とは違い、健康な人の中で過ごすことに考えることも多かったです。

「病気でも働き続けられる社会を」政府が言うほど簡単なことではないと思います。毎日、時間が過ぎることに耐え続けるような日々です。

それでも、たまには「生きていて良かった」「仕事が続けられて良かった」と思える瞬間もありした。

病気でも働き続けた復職1年目のお話をしたいと思います。

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通勤という大きな課題

会社の近くに住んでいる人は、そんなに多くないと思います。私の会社の近くはとてもとても家賃が高いので。

身体の負担を減らすために会社の近くに住むならば、高い家賃を支払うためにお金を稼がなければなりません。

逆に、家賃を節約するために郊外に住めば、長時間の通勤を負担しなければなりません。

答えの出ない問題でした。

病気と仕事を両立させるためには、通勤できる」というまず最初の課題をクリアしなければなりません。このハードルがどれほどまでに高いものか、経験した人にしか分からないでしょう。

私は30代と若く外見では病気を患っていることは分かりません。例え、半年入院した退院後であっても誰も気が付かないでしょう。そのため、「席を変わって」と言われることも多かったですし、何より満員電車のストレスたるもの、すごいです。

難病患者が満員電車で思うこと

私は今まで満員電車や通勤ラッシュを経験したことがありませんでした。会社の近くに住んでおりましたし、出勤時間も早かったので、ゆっくり日経新聞を読めるほどの満員電車しか経験がありません。

私は、病気が悪くなり入院して実家に帰りました。そのため、実家から通える範囲の支店に異動させていただき、定時出勤定時退社で仕事に復職することがベストな選択だと思いました。

しかしですね、現実はそんなに甘くありません。

実家はいわゆるベッドタウンで。都心まで1時間程度のアクセスの良い郊外にあります。すなわち、朝の通勤ラッシュがすごいのです。

定時出勤であれば、立っているだけでやっとの車内で1時間耐えなければなりません。ヘルプマークなんてあったものでありません。おそらく健康な人でさえ、命の保証がないと思えるほどの満員電車です。

私にはまず無理だなと思いました。だから、私は高い高い家賃を支払い会社の近くに引っ越しました。

「病気でも働き続ける。」

そんなに簡単なことではないと思います。

私は働き続けるために高い家賃を支払っています。高い家賃を支払うためには働き続けることが絶対条件です。高い家賃を支払うことができなければ、お金がなければ、1時間満員電車に耐えて身体を酷使するしかありません。

たまに思います。何のために、しんどい思いをして働き続けているのだろうと。家賃を支払うためですか?

自分の席に座っているだけで精一杯だけど、自分のデスクに居場所を感じる

仕事に復職してから半年間ほどは、出勤して自分の席に座っているだけで精一杯でした。周囲の同僚がどう思っているかなんて考える余裕もなく、ただただ座っていました。おそらく私は、一生懸命座っていたのだと思います。

だって入院と休職合わせて1年間、ほとんどの時間をベッドで過ごしていたのですから。

大した仕事もできないけれど。のんびりお手洗いに行って自分の部署に戻った時に、何気なく自分の部屋を見渡しました。空席になっている自分のデスク。

私の膝掛けがイスにかかり、お気に入りの小物がデスクに置かれて、誰も座っていない空席のデスク。言葉にできないような幸福感を持ちました。

そういえば、休職中もずっと私のデスクはそのままに放置されていた。仕事に復職したとき、昨日まで働いていたかのような環境でした。

空席の自分の机の存在がとても嬉しくて、安心したことを覚えています。上司や同僚、会社の人達には本当に感謝しています。

10年以上も難病生活をしていると本当に辛いことが多くて。「自分の人生もういいかな」って思ったこともあります。「このまま薬を飲まなければどうなるのだろう。」、「薬を飲まずに死ねば自殺になるのだろうか。」、「保険金は出るのだろうか。」など、真剣に考えたことも一度や二度ではありません。

そんな時に必ず思い出すのが会社の存在です。会社の人達はいつも「仕事はいつでもできるから、自分の身体を1番大切にしなさい」と言ってくれます。

私のことを大切にしてくれる会社のために、「ひとまず薬を飲んで命を繋ごう」、「ひとまず病院に行って命を繋ごう」、そう思って支えられてきました。

会社は、経済的な問題だけでなく、精神面でも私をずっと支えてくれています。本当に感謝しかないです。ありがとうございます。

以前のように働けないことを受け入れる困難

私が今回、緊急入院したのは、人生絶好調なピークの時でした。「山高ければ谷深し」とはよくいったもので、ピークから一気に深い深い沼に突き落とされました。

仕事に復職したところで通勤するだけで、イスに座っているだけで精一杯で。当然に以前のように働くことはできません。

病気で身体は思うように動けなくても、頭は大丈夫と思っていましたが、全くダメでした。身体が辛いと頭を使って働くとか、それ以前の問題でした。

生きるとはできなくなることを受け入れることだ」と。年配の方が言っていました。休職中にこの言葉と出会い、私も病気になり入院してできなくなったことを受け入れようと考えていました。

でも、私達の同世代、アラサーといえば、まだまだ人生のピークに向かって歩む世代ですよね。仕事に復職して、同世代の人と過ごす時間が増えて、自分は病気なんだと自覚することが増えました。

入院中は病人として生きていました。休職中も「病気だから。」と言うことができました。

でも仕事に復職すると、病人として生きることができなくなりました。健康な人達(健康に見える人達)の中で、生きていくことの辛さを感じ始めました。

結婚・出産・子育て、人生を楽しむリア充同世代の人と関わることが辛い

私は22歳で難病になりました。初めて難病になった年には半年以上入院しました。それから9年間ほど入院せずに薬でコントロールできていたのですが、病気が一気に悪くなり、再び緊急入院したのが2018年です。

ほとんど全ての20代の人達は、「明日入院になるかもしれない」なんて不安を持たずに生きていると思います。ほとんど全ての30代の人達は、「明日死ぬかもしれない」なんて不安を持たずに生きていると思います。

たかがアラサーで、自分の死を覚悟したことのある人はそう多くないと思います。

私の周りにいる人たちもまさに人生絶好調の人が多かったです。(私にはそう見えました。本当のところは分かりませんんが、私にはそう見えました。あるいは、人生絶不調の人達がすでに排除された社会に属していたのかもしれません。)

周囲にいる人たちは、キャリアに悩み、恋愛に悩み、結婚して出産して。おめでたい連絡が続きます。

誰一人として、プレドニンの副作用に悩む友人はいません。誰一人として、免疫抑制剤による癌の発生を不安に思う友人はいません。

まず、FBのアプリを消しました。ラインのアイコンからは目を背けます。リア充(に見える人)から、できるだけ距離を置きました。それでも、目に入る幸せ報告に、絶望感しかありませんでした。

何気なく私に病気の話を振られたとき、空気を明るくしようと思って「本当に健康は大切なんだから。体調悪いときはすぐ病院行きなよ!」って笑って言いました。

すると周囲の人たちは、「私は健康に気を付けているから大丈夫だよ」、「私は野菜たくさん食べて栄養に気をつけているから大丈夫だよ」と言いました。私は本当に傷つきました。

「どんなに健康に気をつけていても病気になるんだ」と分かっている人は多くはいませんでした。

ちょうど既婚者の親友が子供ができずに悩んでいたのですが、その話を聞くことも本当に辛かった。私は自分自身が生きるか死ぬかの問題に生きています。でも親友は、自己実現の課題に向き合い悩んでいる。生きるステージの違いが羨ましかった。そして、大切な親友の苦しみをこんな風にしか捉えられない自分が大嫌いになった。

でも切った私は弱っていたんだと思います。こんな醜い思考に陥るまでに私は弱っていました。まだ、時間は必要ですが、もう少し自分自身の病気を受け入れることで、クリアして生きたいと思います。

自己否定型になると生きることは辛くなる

私は今までの人生、自信いっぱいに生きてきたわけではありません。いつも不安に自信がないような性格でした。それでも自分のことを嫌いだと思ったことはなくて。どちらかというとマイペースに自分のことを好きに思っていました。

でも今回の積極的な治療により、生活の質(QOL)が著しく低下しました。入院中にリハビリをして退院したにも関わらず、実家の階段すら登れなくなっていました。駅までの7分すら歩けませんでした。自力での病院通院など不可能でした。

小さなことから大きなことまで、出来なくなったことばかりでした。そしてプレドニンの副作用で顔はまん丸になり。「私には何も出来ない」と。劣等感の塊になってしまいました。

「自分には価値がない」「私には仕事の能力がない。」「私は・・さんより劣っている」そんな風に自己否定型になると、生きることが本当に辛くなりました。

今までであればどうでも良かったようなことが気になり、自分の些細な行動を後悔して、他人の顔色ばかり伺ってしまう。

自分に自信が持てないことの辛さを初めて知った気がします。自分のことを愛せない辛さを知りました。

遠くを見ずに。下を向いて。自分の足元だけをみて生きる

よく言いますよね。「前を向いて歩こう」「涙が溢れないように。上を向いて歩こう」と。

でも目の前が真っ暗なときに、遠くを見渡そうとすればするほど、暗闇に引き込まれそうになります。闇の暗さに、絶望していまいます。

私は、「ひとまず生きなきゃ」と思って、下を向いて生きることにしました。特に、安全な会社の中では、下を向いて歩くことにしました。

バリバリ働いている同僚を見たくない。産休明けの同僚を見たくない。夢に向かって頑張る同僚を見たくない。私のために力を尽くしてくれる人さえも見ることが辛かったです。

下を向いて自分の靴先を見ながら歩いていました。誰にも話しかけられないように。一言でも口を開けば泣いてしまいそうだったから。一言でも優しい言葉をかけられれば泣きくずれそうだったから。

視野を狭く狭くするように心がけていました。良く言えば、「目の前の自分に集中する」ということなんでしょうが、私にとってはもっとネガティブな感情で、ポジティブなことを避けることで自分を守っていました。

でも今思えば自然と靴先を見ることは減っていきました。少しずつ自然と前を向けるように回復していったのかもしれません。

「無理して前を向かなくても、辛いときは下を向いて歩いてもいいんぢゃないかな」って思います。事故や怪我には気をつけてなくてはいけないけどね。

病気になったことは辛い。それでも生きていれば幸せを見つけることはできる。

たまに「病気になって良かった」とか言う人もいますが、私は「病気になって良かった」なんて思ったことは一度もありません。「病気にならなければ良かった」と思います。「病気にならなければ、もっと大きな挑戦ができたのに。」そう思います。

それでも、病気になったから見えた世界もたくさんあって。今はまだ難病になったことを精神的に受け入れることができたとは言えませんが、うまく経験値にして、人間的に豊かな人になっていけたらいいなと思います。

今もまだ、入院する前のように「自分の人生を謳歌しています!」なんて状況ではありません。会社でも座っているだけで精一杯の時間もあります。ただ、辛くて、時間の経過を待っているだけの時もあります。

病気でもキラキラ生きている病気友達もたくさんいらっしゃいます。そんな人たちに比べて、「私はいつまでグダグダ言っているのだ」と、思ったりもします。でも私は私のペースで生きれればいいなと思っています。

これからの私の人生、もしかしたらもっと深い絶望が訪れるかもしれない。立ち上がれないくらい落ち込むことがあるかもしれない。でも、生きることにだけは執着したいと思う。

仕事に復職して一年経ってもまだ希望を取り戻せてはいませんが、命だけは大切にしたいと思う。「生きていれば、まだチャンスはある」

最後までお読みいただきありがとうございます。前回のブログ更新からしばらく時間が空いてしまいました。今回こうやって自分の気持ちを言葉に表現して、心が少し整理できたような気がします。少なくとも、言葉にできた分だけ、回復過程にあるような気がします。

生きよう。

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