「普通の生活には戻れるよ」入院中にかけられた言葉の意味と、絶対に私にとって普通だった以前の生活には戻ることができない現実

膠原病、全身性エリテマトーデス・・こんにちは。私は、毎日、ただ時間が過ぎていくことを待っています。朝起きて、仕事に行き、仕事をして、帰宅して、家事をして、寝る。ただ、体の辛さに耐えながら、何も考えないようにして、心を、感情を止めています。

病気になって、入院して、休職して・・その時もとても辛かったですが、復職してからの方がもっと辛いかもしれません。自分が病気であることを実感します。

できなくなったことの多さに、絶望します。

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普通の生活とは何なのか

入院中、一番状態が悪かった時は、車椅子をおしてもらっていました。病棟から出ることも禁止され、自宅の階段を登ることもできず、100メートルも歩けず、「一生、病院と家の往復だけで人生が終わるのかな」と思った時期もありました。

入院中、主治医を始め看護士さんなどの医療従事者の皆様は、「普通の生活にはきっと戻れるから大丈夫だよ」といつも声をかけてくれました。

最近、よくこの言葉を思い出します。「普通の生活とは何なんだろうか」

普通の生活が、「朝起きて、自分の足で仕事に行き、帰宅して家事をすること」であれば、確かに今の私は、「普通の生活」を過ごせているのかもしれません。

でも、そうなのかな。入院前に普通だった私の生活を取り戻すことは、もう二度とできないんだろうなぁと思います。

入院前の生活を取り戻すことは不可能

病気にならずとも、過去に戻ることは誰にもできないですけどね。

私は、入院前のように生きることは絶対にできないんだろうなぁと思います。生活の質が大きく下がってしまった今をどう受け入れるか、が大切なのかもしれませんね。

もし、病気にならなかったなら、今の自分はどんな感じだったのだろうかとイメージしてみても、何も思い浮かびませんね。

私くらいの年齢の人たちは、ある意味まだ成長期で、人生のピークに向けて走っている時期だと思います。自分のキャリア、家族、子育て、プラーベートの充実など。何かを得るために、生きている時期なように思います。

でも私は、失ったものを諦めながら、できなくなったことを諦めながら、ある意味、衰退期にいるようです。薬の副作用による脱毛や歯茎の衰えなど、2〜3回り上の世代が抱えるような悩みも多くあります。

意識高い人は「病気なんて言い訳だ」とか言ったりします。確かに、その通りだとも思います。病気だからできなくなることなんて究極的にはないのかもしれません。でも現実にはあると思うのです。

今の環境にある幸せを探して

失ったものを嘆くよりも、今の環境にある幸せを探して生きたいと思います。

でも現実は、身体が辛過ぎて、耐えて時間の経過を待っているだけの毎日ですね。

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