SLEになって長期間入院して、自宅療養をして、早くも5ヶ月が過ぎました。病気になって良かったと思うことは、何一つありません。例え、どんなに苦しいことがあっても、病気にならずに済んだのであれば、その方が良かったと思います。
それでも、実家で療養する生活の中で、病気にならなければ一生なかったであろう、母親との時間は、私の一生の中でかけがえのない、非常に貴重な時間であるような気がしています。
実家に帰らない日々
遠い大学に進学した私は、一人暮らしを始めました。大学4年間で実家に帰ったのは、1回だけです。母親が私の進学先に2回ほど訪れているので、大学4年間で母親と会ったのは、たった3回程度です。その頃は、自分のことばかりで、母親の気持ちなど何も考えていませんでしたが、今なら、「ただ見守っていてくれた母親の愛情」を強く感じるような気がします。
困った時だけ頼る実家
社会人になってからも、私は自分の思うがままに生きてきました。残念ながら、23歳の時に難病になり、一度実家に帰っています。その時も、病気の症状が重たい時だけ実家で母親のサポートを受けながら過ごし、元気になるにつれ、感謝の気持ちも持たずに、また次第に好き勝手に生きるようになって行きました。そして、31歳にして、前回より重症な難病SLEになり、また実家に出戻りです。母親はいつも暖かく、受け入れてくれました。「ここはあんたが帰ってくる馬車やで。いつでも帰ってきなさい」という言葉に、涙が流れました。
母親と過ごす時間
私は要領よく、掃除も洗濯も、家事全般をこなすことができます。今まで、専業主婦である母親の家事を「なんて非効率なんだろう」と思うほどでした。
でも、療養中、あまりにも暇なので、母親のやり方で、少し家事をお手伝いするようになりました。すると、非効率に思えた一つ一つの作業には、意味があって。例えば、食材の下処理一つで、料理の味が大きく変わることなどに気がつきました。どんなに真似しても、実現することができなかった母親の味の秘訣がここにあるのかもしれません。
丁寧に生きること、人への愛情、受け入れること、多くのことを学びました。
「死ぬまでにあと何回会えるのだろう」
生まれて、学校に通い、仕事をして。家族と過ごすよりも職場で過ごす時間の方が長いのが現実です。とても寂しいことだと思います。特に、実家を出でから、「死ぬまでにあと何回、会えるのだろう」と母親が言っていた言葉を思い出すと胸が苦しくなります。
私は、病気になっていなければ、実家に帰ることはなかったと思います。「死ぬまでに何回会えるのだろう」そう聞かれれば、決して多い回数ではないです。2ヶ月に1回実家に帰ったとしても年6回、30年あったとしても180回。あと何回、一緒に食事ができるのだろう、あと何回、一緒に料理ができるのだろう、そう考えると、不思議な気持ちになります。
そう思うと、一日中、母親と一緒に過ごす時間は、生まれて初めての時間で、とても貴重な時間なんだなっと思うのです。
こんな貴重な時間を確保できたとしても、やはり病気にはなりたくはなかったけれど。
何十年か後になって、振り返ると、私の一生の中でかけがえのない時間になりそうな気がしています。
退院してから1ヶ月で、できるようになったこと、回復したことといえば、実家の階段を這うことなく、普通に上り下りできるようになったことぐらいです。社会復帰への焦りや、社会的な疎外感はあります。でも、焦らず、日々の幸せを大切にしながら、ありがたい今の環境に感謝して、「今は治療に専念」しようと思っています。