私は、2010年5月に、特発性血小板現象性紫斑病(ITP)を発病して、ステロイド治療を7年間続けてきました。
2017年3月に、ステロイドをゼロにすることができ、1ヶ月、2ヶ月と再燃することができ「完治した」とみんなで喜んでいた幸せの絶頂期だったそんな時。
2018年3月に、全身性エリテマトーデス(SLE)を発症して、大学病院に入院しました。
今回は、特発性血小板現象性紫斑病(ITP)が完治してから1年後、
全身性エリテマトーデス(SLE)発症までの症状・公開・体験談をお話します。
私は、仕事に夢中になるあまり、病気の診断や治療が遅れたことを本当に後悔しています。同じような症状がある方は、なるべく早く大きな病院で診察をうけてくださいね。
目次
年明けからの体調不良とかかりつけ医
2018年の年明け頃から、体調不良が続いていました。
以前から特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の治療のため、定期的に大学病院に通っていたのですが、ちょうど年末年始の仕事が忙しい時期で、次の予約が2ヶ月後になっていました。
この体調不良の初期段階で大学病院に行っておけば良かったと本当に後悔しています。
膠原病を見逃し続ける開業医
私は、一人暮らしの家の近くの開業医の内科や整形外科にいくつか通いました。
12月には、倦怠感が続き内科に行きましたが「逆流性食道炎です。薬飲んで様子見てください」と。
1月には、膝や足首など関節の痛みが引かなかったため、整形外科に行きましたが「いわゆるランニング障害です。練習をストップして様子をみてください」と。
2月に入ると38度を超える高熱と全身の痛みが続きました。再び内科医に行くとインフルエンザ検査をした後、「インフルエンザではありません。風邪薬を飲んで様子をみてください」と。
さすがの私でも、これは異常だと思いました。
喉の痛みや咳、頭痛などの風邪の症状はありません。インフルエンザでもない。それなのに、高熱と全身の痛みは、ひどくなる一方でした。
この時にいち早く、大学病院に行くべきでした。せめて、大学病院に電話をして相談するべきでした。
でもその時の私は、仕事に穴を開けたくなくて、次の大学病院の予約の日が早く来ることだけを願って、気力だけで仕事をしていました。
※仕事よりも、絶対に自分の体の方が大切です。読者の皆様には、体調が悪い時は無理をせず、病院に行って欲しいと思います。
体を大切にできなかった理由
年明けから本格的な体調不良が始まっていたにもかかわらず、2ヶ月も放置してしまったことに、今になって後悔が募ります。
年明けから、私のSLEは急激に悪くなっていました。あと一ヶ月、あと一週間でも早く病院にいって治療を開始していれば、今の状態もまた違っていたはずです。過去を後悔しても仕方ありませんが、本当に反省しています。
では何故、こんなに体調が悪かったのに、大学病院に行かなかったのか。
仕事でたくさんのチャンスがあった
その理由は、仕事で新しいチャンスをたくさんもらっていたタイミングだったからです。
私が仕事を休んだところで、私の代わりはたくさんいます。
でも、だからこそ、与えられたチャンスを掴みたかった。仕事がただ楽しくて、仕事を失うことが怖かった。「次のステージに進めるチャンスを掴みたい」という仕事の欲求が、少し体の異常と向き合う時期を遅らせただと思います。
病気を受け入れたくなかった
自分の体調をネットで検索していると、関節リウマチではないかと思っており、「リウマチだ」と、言われることから逃げていた面もあります。
体調が悪く、自分では、新しい難病の出現を覚悟していたのだと思います。だからこそ、逃げてしまいました。
どんな病気であれ、早期発見・早期治療が大切です。皆様は、私のような後悔をしないように、気をつけてくださいね。
血液内科の定期検診で詳細な検査
ようやく大学病院の受診日が訪れました。
いつも通り採血を行い、主治医の診察を待ちました。この日は、とても診察が遅れていて、体調不良と重なりとても辛かったことを覚えています。
従来からの特発性血小板減少性紫斑病(ITP)の治療において、ステロイドをゼロにしてにして、再発せずにようやく1年がたったタイミングでした。
1年も経てばステロイドが体から抜けた状態で、かつ再発していないので、そろそろ「完治」と言えそうだねっと主治医と喜んでいたタイミングでした。
追加の検査
しかし、ここ数ヶ月間の体調不良について主治医に伝えると、主治医はすぐに異常を察したようです。
大量の採血や尿検査をオーダーしてくれました。外注する検査もあるので、来週改めての予約を取り、この日は実家に帰りました。
体はボロボロ
この時、自分では自覚はしていなかったですが、体はボロボロだったのかもしれません。お土産に買ったパンを異常に重たく感じたことを覚えています。
久々に実家に帰ったにもかかわらず、金土日とずっと寝ていました。
月曜日に向け、職場がある一人暮らしをしている地域に帰ったのですが、この日から次の診察予約までの4日間の仕事がもう死ねるぐらいに辛かったです。思い出したくもないですね。
入院が決まった日
主治医からの電話
血液内科の主治医から電話がありました。
「次の診察は、予約時間に関わらず11時までに血液内科に来るように」と。
大学病院の主治医から電話がかかってくるというだけで、自分の状態がよくないことをすぐに理解できました。
仕事は、こっそりと引き継ぎの準備をして、整理整頓をしました。
私は、しばらく会社に戻ってこれないことを確信していました。
それでも、わずかな希望をもっていたかったので、上司には「少し検査結果が悪いので来週も有給をいただきます」という風に伝えました。
血液内科から免疫・膠原病科へ
この日は、電話で言われたように、受付を済ませて血液内科の窓口に声をかけました。
すると、すぐに診察に呼ばれました。
私の経験上、「異常に早く診察に呼ばれる時」それは、良くないことがある時です。
私の想定通り、抗体の異常がたくさん発見されていました。
免疫内科から免疫・膠原病科に回されます。
免疫・膠原病科の初診担当医は「膠原病のいずれかだと思われます」としか言いませんでした。
しかし、私は、しっかりと確認しました。
電子カルテに「SLE・ループス腎炎の疑い」と書かれていることを。
そして腎臓内科へ
次は腎臓内科に回されました。検査データや腎臓エコーなどを確認して、「SLE、ループス腎炎の疑い」での、「腎生検の検査からのSLEの治療」で4日後に入院することが決まりました。
何故か安心した
この時、私はとてもホッとしたことを覚えています。
今まで、開業医・町医者にたくさんかかっても、誰一人として私の症状を深刻に考えてくれず「日にち薬だよ」と言わんばかりの態度でした。
だから、私も「時間が経てば楽になる」と信じて、あるいは願って、ひとりで大量不良に耐えながら仕事をしていました。
仮にこの日、入院が決まらなければ、主治医に泣きついてでも休職できるような診断書を書いてもらおうと考えていました。私はもう日常生活を送ることができないほどに、ボロボロでした。
だから、これで、「正式に病人として、仕事も生活も少し休もう」とそんな気持ちでした。
新しい病気に号泣
安心したと同時に、自分では想定していた範囲ではあったものの、新しい病気を発症し、それが絶対的なものとしてデータで証明され、絶望したことも確かです。
やっと泣き止んで、会社に報告の電話をした時、ありふれた日常だった同僚の声がすでに懐かしくて、優しくて、「しばらくその場所には戻れないんだ」そう思うと再び涙が止まらなくなりました。
➡️【保存版】難病「SLE(全身性エリテマトーデス)」の症状・治療など
➡️SLE併発のAPS(抗リン脂質抗体症候群)とは?血栓治療体験談!
入院に向けて一人暮らしのお部屋に帰宅
歩けないほどに体調が悪かったのですが、免疫膠原病内科の担当医に「熱があるのでしんどくて当然でしょ。必要であれば、カロナールを出しておきます。」と冷たく言われ、病院前の調剤薬局でカロナールをもらい帰宅しました。
タクシーに乗ればいいものの、自分がボロボロであることを認めたくなくて、必要以上に、一駅多く歩きました。
通い慣れた大学病院への道、以前からの特発性血小板減少性紫斑病(ITP)が再燃した時に、雨の中、傘もささずにベンチに座っていたこと、雨に抱かれて励まされたことを思い出していました。
入院に向けて、ひとまず一人暮らしのお部屋に帰りました。
入院までの4日間
仕事は、電話やメールで引き継ぎを行い、また温かな対応をしてくださり、とてもありがたかったです。時期的にしなければならないプライベートな雑務が多く、入院までの4日間はとても忙しかったです。
この記事で1番伝えたいことは、「体調が悪いときは、無理をせず早めに病院に行って欲しい」ということです。私は、仕事を優先して、治療が遅れたことを本当に後悔しています。私のように、後悔する人が、ひとりでも少なくなりますように。
膠原病の権威である三森先生が監修した本です。私も読みましたが、膠原病の患者様やご家族の方には是非読んでみて欲しいです。なかなか理解することも、理解してもらうことも難しい病気ですので。
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